友人がオモシロい記事を書いていた。
どーん! ↓
http://mikikoumeda.hatenablog.com/entry/2017/06/27/110842

ここからはこの記事を読んで思ったことを
部分的に切り取って
僕の思うところをなんやかんや書いていこうと思う。

僕自身、英語の真髄に触れるほど英語を勉強しまくった!
という経験はなくて、
もっと言うなら英語圏に足を踏み入れたことすらない。

ただ、
予備校の時は英語漬けだったこともあって、
それなりにミッチリ英語を勉強していた。
正確に言うと、
勉強をしていたと言うよりは
英語を ‘‘道具に” 
新しい世界と出会う準備をしていた。
そう、英語は道具。
知って、理解して、使っていたら、
僕が普段から触れている世界が
見事なまでに拡張された。笑

東京ドームの中の世界しか知らなくて
そこだけでも十分広いと思っていたのに、
ドーム自体よりもウンと広い世界の中に
自分がいたことに気づかされるようで。
まぁわかりにくいか。(;´∀`)

その感覚の発見はまた
おいおい感じてもらうとして。


英語という言語に対する
日本人の意識とは何ぞや?
日本人は英語というものを
一体どう捉えている?
ってのを考えてみたく。

本や文献では、
日本語と英語では言語の周波数が違うからウンタラカンタラ。

とある学者は文法の構造上、
日本語は主語・目的語・述語。
英語は主語・述語、あとは文型によってウンチャラカンチャラ。

だとか
日本人が英語に対してニガテ意識をもってしまう理由なんて
科学的にも学術的にもイッパイあるんだろうけどさ。

でも
一番大きい要因として君臨しているのは、
ニガテ意識を生み出す「無意識」
だと思うのよね。

例えば、

私は英語が話せない。(._.)

実は中学英語くらいなら話せるんだけど。

中学英語のレベルだと
話せるうちに入らないでしょ。

英語圏に留学した人たちと比べれば
言うのも恥ずかしい。。

誰か:Can you speak English?

アナタ:No.(一点張り。笑)

私って、やっぱり英語が話せない人間だよね。

諦め、諦め、諦め、チーン。(-_-)

「英語との縁を切る」





たぶんこれは
日本人であればいろんな人に言えることだと思う。
僕から言わせてみれば
本当にもったいない。
英語の本質に触れる前に出会いを断ち切ってどうすんの?笑
どうしようもねえな。(゚д゚)

で、結局
何が言いたいかというと、

英語を学ぶ、勉強したい!と
あっけなく終わる、その諦め意識のタマゴを
ポコポコ産むんじゃなくて

タマゴを産み出すアナタが一体何者なのか?
それを追究するところから始めるといいよ
の話。

アナタが何者なのか?
さえわからないのに、
自分にはどういう可能性があって、こんなこともできるんだ!
ってなるハズがないっ!

がんばろう、一人じゃないからさ。

にゃひ!